中畑美那《西海の教会(大江天主堂)》
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本作は、天草の大江天主堂に取材した作品。小品だが、現場の空気感や長い年月を「隠れキリシタン」として暮らした人々の哀歓を秘めた教会の情趣が定着されている。
中畑美那(1904-1989)は大阪市生まれの画家。行動美術家協会に所属し、大阪を中心に個展での作品発表も行なった。初期から一貫して静物画を描き、対象の形体、色彩を写実的に描くことにとらわれず、自由で素朴な作風を示した。
<ジャンル>絵画
<技法・材質>油彩/キャンバス
<作品寸法(cm)>16.0 × 23.0
<所属:空想の森美術館コレクション>
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【遠い祷りの声を聞く時】
――空想の森のアート&エッセイ(5)/高見乾司ーー
人生、1ページ先は白紙だ、何が起きるかわからぬ。
ハガキ二枚大(F2号=サムホール)の小さなこの油絵を見るたびに、そんな感慨を覚える。
40年も前のことになるが、そのころ私は由布院の町の旧街道沿いの古民家を改装して、小さな古道具の店を開いていた。病を得て長い療養の時を過ごし、ようやく社会復帰をした、いわば再生への一歩を踏み出した場所であった。その頃はこの町を訪れて来る人も少なく、町は藍色に霞んで東洋の桃源郷のような情趣を漂わせていた。私はそこから仕入れの旅に出て、古伊万里の器や古布、古神像、古仮面、古民藝、民俗資料などを集めた。「もの」に呼び寄せられるように客が集まってきた。そんなある一夜、盆地の北方に位置する由布岳から吹き下ろして来る寒風とともに、コレクター田仲(でんちゅう)氏は、トラブルを持ち込んできた。当日の買い物の総額と釣り銭の額が合わない、というのである。私はそのような金銭のトラブルに巻き込まれるのは嫌いだし、面倒だから、
――あ、ご不審なら金額相応のものに取り換えるか、不足の金額にあうものをお選び下さい。
と答えた。その日はすでに数か月分の売り上げに相当する買い物を田仲氏はしてくれていたのである。一、二点のものなら旅の土産として進呈しても惜しくはないのであった。ところが、その応対が、百戦錬磨のコレクターには新鮮に映ったらしい。同じ町内にある老舗の骨董屋では、そんなことはありません、と冷たくあしらわれたというのである。
これを機縁に、田仲氏は毎月高額の買い物をしてくれる常連客となった。私はそれを励みに仕入れを続けた。まだ九州の田舎には途方もない逸品や世間の人が気づかない掘り出し物が眠っていたのである。ところが、私は、一度だけ贋物を掴み、それと気づかずに氏に売ってしまったことがある。後日、それが「新物」と呼ばれるコピー商品だと分かったので、交換の品を持って関西の田仲氏の自宅まで、訪ねて行った。が、氏は笑って、
――私もいい勉強をした。この壺は新作としても見どころがある。手元に置き、灰皿としてでも使いましょう、ところでそちらの唐津はお幾らかな。
という成り行きとなったのである。私は旅の手土産として、水指に仕立てられるほどの大きさの唐津の塩壺を進上し、一場は穏やかに収まった。そのあと、心斎橋付近のそれと知られた店で食事を御馳走になり、帰りにぶらぶらと歩いていた商店街の一画の画廊の中の一点の作品が、眼に止まった。会場に入ってみると、それは高齢の女性画家の始めて開いたという個展であり、どの作品も清新な空気が流れるような好ましいものであった。中でもこの小品が目を引き
――いいなあ、天草の隠れキリシタンが信仰したころの古い教会の印象だなあ。
と呟いた。すると田仲氏はさりげなく受付に行き、その絵をその場で買い上げて、私に
――九州への土産です。
と手渡してくれたのである。
この後、田仲氏がオーナーとなり、私が企画者となった「由布院空想の森美術館」の開設へと結びついたのだが、建設工事が始まった1週間後、田仲氏は持病の喘息の発作により心臓が止まり、急逝した。私は、分解の危機に直面した事業を引き受けてしゃにむに開館にこぎつけた。この美術館は、由布院の町の人気の上昇とともに多くの鑑賞者の共感を得て、自立した。そして全国へ波及していった個人美術館の設立、地域美術展の普及、「アートの町」と呼ばれるようになった由布院の町での活動など、一定の貢献をした。私はその経緯の中で、折にふれこの絵を展示し、眺め、天界の人となった田仲氏と会話したのである。
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