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高山辰雄 ≪「唐詩選」による≫
¥65,000
朧に霞んだ風景の中に、牛が一頭。そしてその手前には仏像または古代の仏道修行者を思わせる四人の立像。中国の古典にも精通し、愛好した作者は、故郷・豊後への郷愁とはるかな異国への憧憬を形象化した。 高山辰雄画伯は、1912(明治45年) 生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画才を発揮し、当時すでに画家になることを目指していたという。中学校卒業と同時に上京し1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争の渦中を過ごし戦後は日展を中心に活躍。人間の本質をとらえた深い精神性と抒情性に満ちた作品を発表し続けた。洋画の理念の流入と流行を横目に見ながら、伝統的な日本画の画法を駆使し、独自の画境を確立したのである。一方、時折見せる郷土「豊後」への愛着は、風景シリーズやさりげなく配置された人物画の背景などに顕著に現れている。 高山画伯が活動した時代は、西洋の絵画理論を輸入し、学んだ時代であった。印象派から抽象画へと大きく揺れ動いた潮流を視野に置きながら、「日本画」という伝統的な表現様式の中で、独自の形態を創出したのである。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>リトグラフ <作品寸法(cm)>30×45 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。
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高山辰雄 《楽しい集い<アジアの旅から>》
¥65,000
遠くシルクロードへの旅を連想させる作品。道端に集い、楽しいひと時を過ごす人々。行きずりに出会った光景かもしれないが、作者はそこに唐詩の世界や、東西を結んだ交易と文化の道を見た。 高山辰雄画伯は、1912(明治45年) 生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画才を発揮し、当時すでに画家になることを目指していたという。中学校卒業と同時に上京し1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争の渦中を過ごし戦後は日展を中心に活躍。人間の本質をとらえた深い精神性と抒情性に満ちた作品を発表し続けた。洋画の理念の流入と流行を横目に見ながら、伝統的な日本画の画法を駆使し、独自の画境を確立したのである。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>リトグラフ <作品寸法(cm)>30×45 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。
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高山辰雄《向日》
¥65,000
太陽に向かう花・ひまわりとクローズアップされた若い女性の顔。画面にあるのはそれだけだが、どこかに漂う郷愁と、真夏の幻視または悠久の時空間に誘われるまなざしに惹きつけられる。17年ぶりに再開された由布院空想の森美術館の、窓から由布岳が見える展示空間に置いてみると、その感じは一層つよまる。 高山辰雄画伯は、1912(明治45年) 生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画才を発揮し、当時すでに画家になることを目指していたという。中学校卒業と同時に上京し1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争の渦中を過ごし戦後は日展を中心に活躍。人間の本質をとらえた深い精神性と抒情性に満ちた作品を発表し続けた。洋画の理念の流入と流行を横目に見ながら、伝統的な日本画の画法を駆使し、独自の画境を確立したのである。一方、時折見せる郷土「豊後」への愛着は、風景シリーズやさりげなく配置された人物画の背景などに顕著に現れている。画伯は一度だけ、当時の由布院空想の森美術館にもご来館下さり、壁面一杯に展示された「九州の民俗仮面」を興味深く見つめておられたが、惜しくもそれが作品化されるという機会は実現しなかった。いま思うと、当時の画伯は私などの駆け出しの美術館主が来やすく声をかけることが躊躇われるほど高名な画家であり、私どもはまだ仮面群の実態は把握していなかった。だが、振り返ってみれば、画伯のまなざしは、郷土の歴史やはるかな列島の古層までを見すえておられことがわかる。いまここに小品三点ではあるが遺作を再開された由布院空想の森美術館に展示することが出来、当時をしのぶことのできる幸福を思っている。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>リトグラフ <作品寸法(cm)>30×45 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。
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田島征三 《雨の森の一日》
¥70,000
御存知、日本を代表する絵本作家・美術家。 本作は、エネルギッシュな作品群の底流を なす素朴で愉快な造形物が、画面いっぱい に配置され、森の中の雨音や雷さまのとど ろき、生き物たちの声などが聞こえてくる ような作品。 幼少期を自然豊かな高知県で暮らしたこと がその後の創作活動の原点という。 「とべバッタ」「ふきまんぶく」などの代 表作があり、伊豆高原に移住した後は谷川 晃一・宮迫千鶴夫妻とも交流し、木の実や 自然物を使った壮大なアート作品を展開し てきた。 2009年「鉢&田島征三 絵本と木の実の美 術館」が開館。 <ジャンル>絵画 <技法:材>リトグラフ/紙 <作品寸法(cm)> 37×27 <所属:アートスペース繭コレクション>
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谷川晃一 《鳥の歌》
¥50,000
太陽の光が明るく降り注ぐ伊豆高原の 森には、たくさんの鳥が集まり、終日、 歌声を響かせる。 この地に移り住んだ谷川晃一・宮迫千鶴 夫妻の日々を彩った鳥たちの合奏。 そこから生まれ出た美しいフォルムと 色彩。 谷川さんは、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家として知られた人で、旺盛な作家活動を続けた。東京都中央区出身(1938 - 2024)。20歳で自由美術展に入選。以後、1963年読売アンデパンダン展に出品、前衛美術家として活動した。1964年、「記号の増殖」シリーズで最初の個展を東京の内科画廊で開催。絵画制作と並行して美術批評など文筆活動も行った。 <ジャンル>絵画 <技法:材質>リトグラフ/紙 <作品寸法(cm)>37×26 <所属:アートスペース繭コレクション>
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黒須昇 《イエスタデイ》
¥80,000
1979年に渡仏し、以後モンパルナスに住み、 日本の浮世絵に題材をとった独特の画風は、 無国籍アートと形容される。 「イエスタデイ」連作の一点。浮世絵のス トレートな性描写とは違った王朝風で軽快 な色彩と造形は、長年の浮世絵研究・論文 執筆などの中から生み出された。 <ジャンル>絵画 <技法:材>アクリル/マット紙 <作品寸法(cm)> 17×15 <所属:アートスペース繭コレクション>
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田口雅己 《八百屋お七》
¥80,000
紅蓮の炎の中に火消しの纒や櫓、逃げ惑う人々、役者や鳥、種々の景物などが描き込まれ、現代の絵草子を見るような画面構成となっている。 江戸時代前期に、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし、火あぶりの刑に処せられた実在の少女は、以来、様々な戯曲や芝居、小説などに描かれたが、20世紀の絵師は今昔を行き来するような絵柄を生み出した。 田口雅巳 ( 1936~2010)東京生まれ。神奈川県立鎌倉高等学校在学中から,公募団体展(自由美術展ほか)・グループ展に出品。創作活動を続け、1984年以降,無所属となり個展を中心に洋画・日本画・立体造形・版画などを発表、併行して湘南風景も描き続けた画家。 <ジャンル>絵画 <技法・素材>シルクスクリーン <作品寸法>25.0×35.0 <所属>アートスペース繭コレクション
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谷川晃一 《森の歌》
¥150,000
谷川晃一・宮迫千鶴夫妻は、東京での活動を打ち切り、伊豆高原の森の中に移住してから、自由闊達で多彩な作品を生み出した。「アートフェスティバルゆふいん」から引き継いだ「伊豆高原アートフェスティバル」は伊豆半島の100を超える会場が参加する地域美術展となり、全国のアートシーンを牽引した。 アートスペース繭のオーナー梅田さんは、その初期から同フェスティバルに参加。初めて谷川さんから買った絵がこれだった。作家・企画者・コレクターなどの交流の歴史、絵画に対する愛着などを物語る一点。 谷川さんは、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家として知られた人で、旺盛な作家活動を続けた。東京都中央区出身(1938 - 2024)。20歳で自由美術展に入選。以後、1963年読売アンデパンダン展に出品、前衛美術家として活動した。1964年、「記号の増殖」シリーズで最初の個展を東京の内科画廊で開催。絵画制作と並行して美術批評など文筆活動も行った。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>水彩・アクリル/紙・パネル <作品寸法(cm)>:21 ×26 <所属:アースペース繭コレクション>
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谷川晃一《人間になった犬》
¥600,000
作中の犬は、人間になろうとしているのか、あるいは人間が犬になりたいと思っているのか。海を見下ろす楽園のような伊豆高原の森の中で生まれた作品は、今も私たちを夢想の中へと誘う。谷川さんは、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家として知られ、旺盛な作家活動を続けた人で、「アートフェスティバルゆふいん」から引き継いだ「伊豆高原アートフェスティバル」の運営委員長として30年以上にわたり牽引した。同フェスティバルは「地域型の美術展」として全国に普及した美術展のテキストとなった。東京都中央区出身(1938 - 2024)。20歳で自由美術展に入選。以後、1963年読売アンデパンダン展に出品、前衛美術家として活動した。1964年、「記号の増殖」シリーズで最初の個展を東京の内科画廊で開催。絵画制作と並行して美術批評など文筆活動も行った。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>水彩、アクリル/パネルに紙貼 <作品寸法(cm)>73.0 × 103.0 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。 【伊豆高原の風】 ――空想の森のアート&エッセイ(2)/高見乾司―― 谷川晃一さんと伊豆高原アートフェスティバルのことを書いた「伊豆高原の風」というエッセイの原稿または記事を探しているが見つからない。もう30年も前の記事だから、インターネット情報からは消えているし、どこに書いたのか、思い出せない。谷川さんのことはインターネットで多くの情報が出ているので、調べればおおよそのことはわかる。だが、そこに出ているのは表面上の事象だけで、谷川さんとの交流・交友の記憶とは違うのだ。これから元原稿または記事を探し、改めてここに記すことにしよう。ひとまず小休止。
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谷川 晃一《スイランの庭》
¥120,000
「スイランの庭」は伊豆高原の海を見下ろす高台の森の中にある不思議な庭、または谷川晃一・宮迫千鶴夫妻のアトリエと理解すれば間違いない。谷川さんは、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家として知られた人で、旺盛な作家活動を続け、「アートフェスティバルゆふいん」から引き継いだ「伊豆高原アートフェスティバル」の運営委員長として30年以上にわたり牽引した。同フェスティバルは「地域型の美術展」として全国に普及した美術展のテキストとなった。東京都中央区出身(1938 - 2024)。20歳で自由美術展に入選。以後、1963年読売アンデパンダン展に出品、前衛美術家として活動した。1964年、「記号の増殖」シリーズで最初の個展を東京の内科画廊で開催。絵画制作と並行して美術批評など文筆活動も行った。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>水彩・アクリル/紙・パネル <作品寸法(cm)>:36.0 × 55.0 <所属:空想の森美術館コレクション>
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宮迫千鶴《日曜日の庭》
¥60,000
伊豆高原の海を見下ろす森の中の谷川晃一・宮崎千鶴夫妻の庭とアトリエには多くの人が集った。東京から移り住んだお二人の創作の場は、「伊豆高原アートフェスティバル」という新時代を開く美術展の拠点となった。1947 年、広島生まれの宮迫さんは、20 代のころから独学で絵を描きはじめ、絵画制作とともに、写真・美術評論、評論家・エッセイストとして活躍、女性の視点による鋭い社会評論も展開した。1988 年、伊豆高原に転居。自然や暮らし、心・体・霊性の不思議に注目し多くのエッセイを発表した。絵画は、自然をテーマにした視覚の喜びを喚起する明るい色調の豊かな作品で海外でも高く評価された。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>:パステル/紙 <作品寸法(cm)>25.0 × 30.0 <所属:空想の森美術館コレクション> *備考 ・額縁は25年前のままなので多少の剥落がありますがそれも「味」となっています。 ・送料は別途(地域別)計算となります。 【「花酒」と宮迫千鶴さんのこと】 ――空想の森のアート&エッセイ(3)/高見乾司―― 伊豆高原の海を見下ろす森の中の谷川晃一・宮崎千鶴夫妻の庭とアトリエには多くの人が集った。 東京から移り住んだお二人の創作の場は、「伊豆高原アートフェスティバル」という新時代を開く美術展の拠点となった。 1947年、広島生まれの宮迫さんは、20代のころから独学で絵を描きはじめ、絵画制作とともに、写真・美術評論、評論家・エッセイストとして活躍、女性の視点による鋭い社会評論も展開した。1988年、伊豆高原に転居。自然や暮らし、心・体・霊性の不思議に注目し多くのエッセイを発表した。絵画は、自然をテーマにした視覚の喜びを喚起する明るい色調の豊かな作品で海外でも高く評価された。 宮迫千鶴さんについては、書きたいことが次から次へと思い出されてくる。そして、いつの間にか瞼の裏が湿っている。 宮迫さんと谷川晃一さんが始めて湯布院の町においでになったのは、1992年のことだった。その頃、私たちは「アートフェスティバルゆふいん」という地域美術展を企画・開催しており、「町じゅうを展覧会場」と見立てたこの美術展では、宮迫さんの個展を「ゆふいん駅アートホール」で開催、同時に私どもの由布院空想の森美術館で「谷川晃一展」を企画して、町内30会場を結んだ展覧会の核としたのだった。すべての展示を終え、夜の空想の森美術館で、「花酒」でお迎えしたところ、宮迫さんはまるで上等のブランデーのような、琥珀色に醸成された「藪椿」の花酒が気に入り、次々に盃を重ねたのである。 「わたし、ここにある花酒の全部を味見する」 と豪語した彼女は、10杯目ぐらいで酩酊状態になり、轟沈したが、愉快な一夜を過ごすことができたのであった。 女性論や軽快で華麗な色彩の絵画で時代の先端を走っていた彼女は眩しい存在で、私たちは少し距離を置いて接していたのだったが、この夜を機縁に親密な同志のような間柄となった。第5回をもって最終回とした「アートフェスティバルゆふいん」は翌年から「伊豆高原アートフェスティバル」へと引き継がれ、その後25回を重ねて、国内最大級の地域美術展として、20世紀後半から21世紀のアートシーンを牽引したのである。 あっという間に過ぎたような・・・ 長い長い物語でもあったような・・・ *「アートフェスティバルゆふいん」は1988年から1992年まで5回開催。「伊豆高原アートフェスティバル」は1993年から2017年まで25回開催し、その後を「伊豆高原五月祭」として引き継がれ、現在に至っている。
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黒須昇 《無題》
¥80,000
1979年に渡仏し、以後モンパルナスに住み、 日本の浮世絵に題材をとった独特の画風を 確立した画家に、別の一面がある。鉛筆で 塗った画面を油で溶かし、その黒々とした 色面に金彩などでドローイングを重ねてゆく。 流れ星のような、あるいはホタルの点滅の にもみえる小宇宙。 <ジャンル>絵画 <技法:材>アクリル/マット紙 <作品寸法(cm)> 18×17 <所属:アートスペース繭コレクション>
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黒須昇 《浮世の幻想》
¥120,000
1979年に渡仏し、以後モンパルナスに住み、 日本の浮世絵に題材をとった独特の画風は、 無国籍アートと形容される。 「イエスタデイ」等の連作の一つ。浮世絵の ストレートな性描写とは違った王朝風で軽快 な色彩と造形。手製の額縁が本画の画調とよ くマッチして、独自の造形を引き立てる。 <ジャンル>絵画 <技法:材>油彩/キャンバス <作品寸法(cm)> 16×22 <所属:アートスペース繭コレクション>
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井上洋介《森の哲学者》
¥70,000
月夜の森で思索にふける大きなフクロウ。 その眼に何が映り、森の哲学者の思考は どこへ辿りつくのか。混迷を深める人間 世界をちょっと斜めの視点で眺めているか。 絵本「おだんごぱん」「ぶんぶくちゃがま」 「月夜のじどうしゃ」など、多くのすぐれた 作品を残したこのアーティストは、絵本、 漫画、広告、舞台美術など、多彩な分野で 活躍した (1931~2016) 奇想天外な発想が 炸裂する独創的な世界を描き、「その時代、 その空間にある材料を使って、表現したい ものを表現するのが芸術」と語.。鬼気迫る 描写に愛嬌と哀愁、ナンセンスを同居させ た独自の画風は、多くの人に愛され、支持 を得た。 <ジャンル>絵画 <技法:材>水彩/紙 <作品寸法(cm)> 40×31 <所属:アートスペース繭コレクション>
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井上洋介 《終戦の日》
¥80,000
15歳の洋介さんが見た終戦の日の光景。 捻じ曲がった水道管、焼けて倒れた人々・・・ 絵本「おだんごぱん」「ぶんぶくちゃがま」 「月夜のじどうしゃ」など、多くのすぐれた 作品を残したこのアーティストは、絵本、 漫画、広告、舞台美術など、多彩な分野で 活躍した (1931~2016)。奇想天外な発想が 炸裂する独創的な世界を描き、「その時代、 その空間にある材料を使って、表現したいもの を表現するのが芸術」と語.。鬼気迫る描写に 愛嬌と哀愁、ナンセンスを同居させた独自の 画風は、多くの人に愛され、支持を得た。 <ジャンル>絵画 <技法:材>油彩/キャンバス <作品寸法(cm)> 21×27 <所属:アートスペース繭コレクション>
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高井佐和子 《枯野》
¥70,000
朧に霞む遠山とその手前に広がる枯野。 野の端っこには一本の樹。枯れ残った 丈高いオヤマボクチ(と思われる)一群 があり、まだ花を付けている草もある。 晩秋の一日は、厳しい冬を迎える前の ひとときの華やぎと侘びしさを湛えて 静か。 <ジャンル>絵画 <技法:材>水彩/紙 <作品寸法(cm)> 32×42 <所属:アートスペース繭コレクション>
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高井佐和子《扉》
¥28,000
スペイン・トスカーナの町の小さな扉のある家。通りがかった画家の眼は、そこに住む人たちのあたたかな暮らしぶりや、風土の歴史までを写しとっています。 美大で油絵を専攻後、家族(夫も画家)と一年近くイタリアで暮らしていた時、高橋秀、藤田桜夫妻と知り合い、布の貼り絵で絵本を製作していた桜田さんの自由な表現を見て、自分の表現したい世界、画材を模索し、紙にアクリル絵の具を使って「一枚の絵本」をテーマに創作を始めたと語る作者。初期に多く描いたメルヘンの世界から徐々に自然の世界から感じとる詩情の表現に変化し、最近ではアクリル板を使ったガラス絵の手法の作品は創作の世界を広げています。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>ガラス絵 <作品寸法>9.0×14.0 <所属>アートスペース繭コレクション
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高井佐和子《林の贈り物》
¥110,000
卓上に静かに置かれたどんぐりの枝。葉っぱはすでに枯れはじめ、一つの実は転がり落ちている。その傍には、小鳥たちが飛び立った後と思われる鳥の巣。パステルで描かれた柔らかな画面に漂う詩情。 美大で油絵を専攻後、家族(夫も画家)と一年近くイタリアで暮らしていた時、高橋秀、藤田桜夫妻と知り合い、布の貼り絵で絵本を製作していた桜さんの自由な表現を見て、自分の表現したい世界、画材を模索し、紙にアクリル絵の具を使って「一枚の絵本」をテーマに創作を始めたと語る作者。初期に多く描いたメルヘンの世界から徐々に自然の世界から感じとる詩情の表現に変化してきています <ジャンル>絵画 <技法・材質>パステル <作品寸法>22.0×40.0 <所属>アートスペース繭コレクション
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アーナー恵子 《燃える想い》
¥450,000
多彩なアーティストである。最初に会った 時は、宮崎県全域で企画された「新芸術 集団フラクタス」のディレクターとして出 展要請に行った時だったが、自身が運営す るアトリエショップそのものが爽やかな色 彩のオブジェや平面作品で構成されていた。 ジャンルを超えた表現者たちが集まる芸術 展にふさわしい人だった。 その時期の作品「燃える想い」である。赤 が鮮烈で、輝くような白の配置も快かった。 燃え上がるような南国の風景とそこに集ま る人々との出会いの楽しさも包含した作品。 フラクタスとは宮崎出身の前衛美術家・ 瑛九が結成したグループの系譜を引き継い だ集団であった。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>アクリル/紙・パネル <作品寸法(cm)>91×91 <所属:アーナー恵子アトリエ> ☆ 【アーナー恵子 プロフィール】 Keiko Ahner 1960年宮崎県生まれ。独学で美術制作。油彩・アクリル画をはじめ、ボディーペイントやライブペイントも手がける。個展やグループ展を国内外で開催。主な作品シリーズに クルクルアニメーション、ダンゴ虫シリーズ、ピーナツ星人、アハアハ星人、繋がれた命、ワッショイ星人がある。「ワッショイ星人」は、口蹄疫、コロナ感染症、ご主人のアーナー・ハワードさんの逝去などが続いてもがいていた2012年ころに誕生したオリジナルキャラクター。絵画教室で子供たちに絵の楽しさを教え、ウエルカムボード、絵画制作、ライブペイント、 イベント参加、ワークショップ等も行っている。
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アーナー恵子 《エネルギー》
¥300,000
太陽そのものを凝縮してそこに置いたよう な画面を眺め続けていて、「遍照」という 言葉が浮かんできた。太陽のエネルギーが 炎上するさまをコロナといい、遍照とは仏 教用語の大日如来を表す概念だが、そんな 大仰な把握ではなく、明るくそこに集う人 々を照らし、楽しくさせる「赤」だと思っ たのである。そうだ、アーナー恵子さんそ の人が快活で、いつも周りに笑い声が絶え ない素敵な女性なのだ。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>アクリル/紙・パネル <作品寸法(cm)>80×80 <所属:アーナー恵子アトリエ> ☆ 【新芸術集団 フラクタスのこと】 「新芸術集団フラクタス」は、2000年に第一回展を宮崎県綾町で開催し、その後10回展まで活動を続けた。美術団体である。 絵画、立体造形、映像、写真、音楽・演劇、詩、文学、評論、建築など多様なジャンルの表現者たちが集まり、アンデパンダン方式で展覧会を開催するこの芸術展は、宮崎出身の前衛美術家・瑛九(えいきゅう)と行動をともにした加藤正(かとうただし)の呼びかけによるもので、瑛九ゆかりの県内作家を中心に、ベテラン・若手の別なく集まり、出発したものである。 「フラクタス」とは、物理用語で「混沌の中にきらめく光の断片」とでも要約される表現らしいが、そのグループ名は、この表現者集団の性格を表す的確な表現であった。 綾町での第一回展で幕を開けた企画展はまさに「前衛」の気風を示す絶好の機会となった。県立美術館を主会場に県内の40箇所のギャラリーや作家の工房、店舗、ホテルなどを結んで繰り広げられた第二回展は「地域美術展」としての性格と主張を明示した。その後、県立博物館に保存されている「民家園」で開催された展覧会、県立美術館での若手作家のプロデュースによる企画など、さまざまな手法で開催された企画展は、それぞれに刺激的であり、提案・提言も多く、瑛九が設立した「デモクラート美術協会」の系譜を引き継ぐアート活動として、宮崎のアートシーンに明確な一ページを記録したのである。 現在は休止中のこの集団の行方は、いまだ混沌<フラクタル>として不明である。
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アーナー恵子 《遭遇》
¥90,000
黒潮寄せる日向灘の岩礁に立って、潮音を 聴き、波間に漂う不定形な物体を見つめて いる時、または、神楽の演じ続けられてい る山奥の村の上空に漂う雲をふと見上げた 時などに現れる現実にはあり得ない形態な どを連想させる。 「遭遇」とは、彼岸と此岸の境界を行き来 する不安と希望の混交した時空。 どこからか、愛おしい人の声が聞こえてく るような、ひととき。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>アクリル/紙・パネル <作品寸法(cm)>31×50 <所属:アーナー恵子アトリエ> ☆ 【アーナー恵子 プロフィール】 Keiko Ahner 1960年宮崎県生まれ。独学で美術制作。油彩・アクリル画をはじめ、ボディーペイントやライブペイントも手がける。個展やグループ展を国内外で開催。主な作品シリーズに クルクルアニメーション、ダンゴ虫シリーズ、ピーナツ星人、アハアハ星人、繋がれた命、ワッショイ星人がある。「ワッショイ星人」は、口蹄疫、コロナ感染症、ご主人のアーナー・ハワードさんの逝去などが続いてもがいていた2012年ころに誕生したオリジナルキャラクター。絵画教室で子供たちに絵の楽しさを教え、ウエルカムボード、絵画制作、ライブペイント、 イベント参加、ワークショップ等も行っている。
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アーナー恵子 《再来》
¥40,000
【アーナー恵子 再来》】 油絵ではサムホール(ハガキ2枚大)という最小 サイズに入る作品だが、そこには遠い山岳ま たは雲の峰のような雄大な景観があり、大き な月(沈みゆく太陽かもしれない)が描かれて いる。 ご主人のハワードさんを亡くした後の作品な らば、再来と再会の願望が託されていること はあきらかだ。もしも、それ以前の作なら、 訪れる人生最大の不幸とそこから立ち上がり 再生する過程を予測していた作品ということ になる。画面は小さくとも、秘められている 物語は大きく、深い。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>アクリル/キャンバス <作品寸法(cm)>15×23 <所属:アーナー恵子アトリエ> ☆ 【アーナー恵子 プロフィール】 Keiko Ahner 1960年宮崎県生まれ。独学で美術制作。油彩・アクリル画をはじめ、ボディーペイントやライブペイントも手がける。個展やグループ展を国内外で開催。主な作品シリーズに クルクルアニメーション、ダンゴ虫シリーズ、ピーナツ星人、アハアハ星人、繋がれた命、ワッショイ星人がある。「ワッショイ星人」は、口蹄疫、コロナ感染症、ご主人のアーナー・ハワードさんの逝去などが続いてもがいていた2012年ころに誕生したオリジナルキャラクター。絵画教室で子供たちに絵の楽しさを教え、ウエルカムボード、絵画制作、ライブペイント、 イベント参加、ワークショップ等も行っている。
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アーナー恵子 《独奏》
¥40,000
音楽とは、演奏が終わった瞬間に消えてしまう 芸術だという。音楽が響いてくるような絵もあ るという。では、一人で楽器を奏でている時、 また、発表の予定もなく誰に見せるという目的 もなく線を引いている時などに、音楽家や画家 はどんな心境でいるのだろう。 その答えの一つが、このデッサンにあると思え る。鉛筆と紙を使って描くという絵画の初発の 段階での線が、歌い、踊る時、画家は、われ知 らず、一人の音楽家になっているのだ。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>鉛筆・水彩/紙 <作品寸法(cm)>35×24 <所属:アーナー恵子アトリエ>
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木本晴三 《二本の木》
¥80,000
木本晴三 (1913-1998 /春陽会会員)は論客の揃った春陽会に所属し、論客たちに鍛えられながら画風を確立していった画家らしい。洲之内徹氏の目に止まり、銀座の現代画廊で個展を開くようになるまでは大作のタブローばかりを描いていたという。ということは、画廊の個展などでは売れにくい絵という事になる。そのことをふまえた洲之内さんのリクエストにより、ゼロ号とかサムホールなどの小品を描くようになり、愛好者も増えた。が、画家は小品といえども丁寧に堅実に仕上げる画法を貫いた。二本の木のある変哲もない風景が、画家の手練の技によって、その日、そこに漂っていた空気感とともに定着されたのである。 ☆ この作品は、現代画廊が閉廊になり、片付けをしている時に見つかったという珍品。 現代画廊に通いつめた後藤さんならではの掘り出し物というべきか。 <ジャンル>絵画 <技法:材質>油彩/キャンバス <作品寸法(cm) 334×242 <所属:後藤洋明コレクション> 後藤洋明さんは、夭折の画家や無名の新人などを発掘し、美術誌「芸術新潮」に美術随想「気まぐれ美術館」を連載して戦後美術史に独自の光を当て、同時代の作家たちにも影響を与えた故・洲之内徹氏が経営した現代画廊に通い続け、収集活動をした。その膨大な記録と記憶と蒐集品は公立の学芸員が頼りにするほどの価値を持つ。私も同じ時代に「気まぐれ美術館」を読み、現代画廊に通った仲である、その気まぐれの残党ともいうべき後藤さんのコレクションがこれから次々に送られてくるという。そのことは追々、記して行くことにしよう。