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  • 武石憲太郎 《雨の橋》

    ¥120,000

    武石憲太郎氏は、大分県由布市挾間町在住の画家である。1980年代、まだ地元の新聞社に勤めていた彼は、勤務を終えたあと、夜の町で一心に絵を描いていた「旧・由布院空想の森美術館」では、そのころの武石さんの絵で、再三、企画展を開かせてもらった。以後、勤めをやめて画業一筋の生活に入った武石さんと、私(高見)は、一緒に各地へ出かけ、さまざまなアートイベントに参加したり、企画展を開いたりした。存在そのものが芸術作品のような彼と、美術館の経営者であり企画者も兼ねていた私とは、画面に向かう態度にも差違があったが、それだからこそ、私にとっての武石憲太郎は大切な友人であり、同志であり先達であった。いま、故郷の町を遠く離れ、武石さんに会う機会もなくなったけれど、この「夜の橋」をみるたび、いつも黙々と描き続けていた彼の姿が、よみがえるのである。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>水彩/画用紙 <作品寸法(cm)>22.0 × 27.0 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。

  • 武石憲太郎 《夜の家》

    ¥80,000

    夜のなかで 白くかがやく 家。 夜中に星がひとつ ひとつ 耀いている <ジャンル>絵画 <技法・材質>コンテ/紙 <寸法(cm)>15.0×15.0 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。 武石憲太郎氏は、筆者と同年代の作家(2歳年上)なので、よく一緒に描く機会を持った。というよりも兄貴分として親しく付き合わせてもらったというべきだろう。この作品は、まだ武石さんが地元の新聞社の業務部に勤めていたころの作品。仕事が終わり、夜の町に描きに出かけたのである。一人、スケッチブックを抱えて街路を歩く姿がみえる。詩のようなひとりごとが、裏面に書きつけられている。

  • 武石憲太郎 《佐賀関の港》

    ¥180,000

    武石憲太郎氏は、初期の由布院空想の森美術館によく通ってきてくれて、個展を開催してもらったり、ともに各地へ出かけたりした。そんなある一夜、「お面を描かせてください」とリクエストしてきたので、私は自由に美術館空間を使って下さいと言い残し、自分の部屋で描きかけの原稿を仕上げ、深夜の美術館にもどってみると、「うん、うーん」と獣のうなるような声が聞こえた。憲太郎氏さんが、仮面たちと対話しながら絵を描いているのであった。またある時、由布院の隣町の湯平温泉で開催された「由布院と山頭火展」で一緒に仕事をし、温泉街を巡って絵を描いた。旅の俳人・種田山頭火は放浪の途次、この温泉町に立ち寄り、木賃宿の娘さんのやさしさにふれて「しぐるるや人の情けに涙ぐむ」という秀句を残すのである。それにちなむ企画の間じゅう、武石憲太郎は放浪の画人となり、ひたすら絵を描いた。そんなふうに、場や空間に同化し、その空気を瞬時に捉えて画面に定着させるのが武石さんであった。通い続けた海辺の町では、漁師さんと間違えられることもあったらしい。画面には潮風の匂いが漂っている。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>水彩/画用紙 <作品寸法(cm)>42.0 × 58.0 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。

  • 武石憲太郎 《富士紡》

    ¥80,000

    【黒の余韻】 ・2001年、由布院から宮崎県西都市茶臼原台地の森の一角に移り住んだ私は、その地にあった古い教会を改装し、ギャラリーとして運営を始めた。その教会は、100年前にこの地を開拓し、児童福祉の仕事を続けた石井十次とその仲間たちが敬虔な祈りを捧げた所であった。その静かな空間に武石憲太郎氏の黒一色で仕上げた作品が良く似合った。以下は来場者の感想。      ☆ ・黒色だけでかいた絵も「うすいところ、こゆいところ」などあって、げいじゅつです。(近所の小学生の感想) ・どうしてがくぶちより絵のほうが小さいのかが、ふしぎです。でもどの絵も上手です。(近所の小学生) ・それはね、「白の空間・黒の空間」(せんもん的には、間<ま>とか余白<よはく>などといいます)を大事にしたいと考えたからです。昔から日本には、広いびょうぶ(屏風)に小さい絵を張る、という表現様式があります。空間のとのかたもまた芸術表現なのです。(企画者からの回答) ・こういう空間、大好きです。今、雨がふっています。椅子に座ると見える芝生と彫刻、最高!(岡山県倉敷市から来た人) ・愛犬を連れて何度も何度も訪れた場所です。愛犬は、2年間、肝臓ガンと闘い、そして先日死にました。ようやくこの場所を訪れる気になりました。とても心安らぐ場所です。 黒と白の絵・・・和的であり、洋でもあり・・・そして色が見える。心静かに見つめていられる絵ですね。ありがとう。(宮崎市より、二人連れ) <ジャンル>絵画 <技法・材質>コンテ/画用紙 <作品寸法(cm)>11.0 × 13.0 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。

  • 高山辰雄 ≪「唐詩選」による≫

    ¥65,000

    朧に霞んだ風景の中に、牛が一頭。そしてその手前には仏像または古代の仏道修行者を思わせる四人の立像。中国の古典にも精通し、愛好した作者は、故郷・豊後への郷愁とはるかな異国への憧憬を形象化した。 高山辰雄画伯は、1912(明治45年) 生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画才を発揮し、当時すでに画家になることを目指していたという。中学校卒業と同時に上京し1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争の渦中を過ごし戦後は日展を中心に活躍。人間の本質をとらえた深い精神性と抒情性に満ちた作品を発表し続けた。洋画の理念の流入と流行を横目に見ながら、伝統的な日本画の画法を駆使し、独自の画境を確立したのである。一方、時折見せる郷土「豊後」への愛着は、風景シリーズやさりげなく配置された人物画の背景などに顕著に現れている。 高山画伯が活動した時代は、西洋の絵画理論を輸入し、学んだ時代であった。印象派から抽象画へと大きく揺れ動いた潮流を視野に置きながら、「日本画」という伝統的な表現様式の中で、独自の形態を創出したのである。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>リトグラフ <作品寸法(cm)>30×45 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。

  • 高山辰雄 《楽しい集い<アジアの旅から>》

    ¥65,000

    遠くシルクロードへの旅を連想させる作品。道端に集い、楽しいひと時を過ごす人々。行きずりに出会った光景かもしれないが、作者はそこに唐詩の世界や、東西を結んだ交易と文化の道を見た。 高山辰雄画伯は、1912(明治45年) 生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画才を発揮し、当時すでに画家になることを目指していたという。中学校卒業と同時に上京し1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争の渦中を過ごし戦後は日展を中心に活躍。人間の本質をとらえた深い精神性と抒情性に満ちた作品を発表し続けた。洋画の理念の流入と流行を横目に見ながら、伝統的な日本画の画法を駆使し、独自の画境を確立したのである。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>リトグラフ <作品寸法(cm)>30×45 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。

  • 高山辰雄《向日》

    ¥65,000

    太陽に向かう花・ひまわりとクローズアップされた若い女性の顔。画面にあるのはそれだけだが、どこかに漂う郷愁と、真夏の幻視または悠久の時空間に誘われるまなざしに惹きつけられる。17年ぶりに再開された由布院空想の森美術館の、窓から由布岳が見える展示空間に置いてみると、その感じは一層つよまる。 高山辰雄画伯は、1912(明治45年) 生まれ2007(平成19年)没。大分県大分市出身。小学生のころから画才を発揮し、当時すでに画家になることを目指していたという。中学校卒業と同時に上京し1931年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科へ入学。在学中は松岡映丘の門下生として日々研鑽、1936年に東京美術学校を首席で卒業するなど、画家として順調なスタートを切ったが、以後は多くの美術展に落選するなどの試練があった。太平洋戦争の渦中を過ごし戦後は日展を中心に活躍。人間の本質をとらえた深い精神性と抒情性に満ちた作品を発表し続けた。洋画の理念の流入と流行を横目に見ながら、伝統的な日本画の画法を駆使し、独自の画境を確立したのである。一方、時折見せる郷土「豊後」への愛着は、風景シリーズやさりげなく配置された人物画の背景などに顕著に現れている。画伯は一度だけ、当時の由布院空想の森美術館にもご来館下さり、壁面一杯に展示された「九州の民俗仮面」を興味深く見つめておられたが、惜しくもそれが作品化されるという機会は実現しなかった。いま思うと、当時の画伯は私などの駆け出しの美術館主が来やすく声をかけることが躊躇われるほど高名な画家であり、私どもはまだ仮面群の実態は把握していなかった。だが、振り返ってみれば、画伯のまなざしは、郷土の歴史やはるかな列島の古層までを見すえておられことがわかる。いまここに小品三点ではあるが遺作を再開された由布院空想の森美術館に展示することが出来、当時をしのぶことのできる幸福を思っている。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>リトグラフ <作品寸法(cm)>30×45 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。

  • 谷川晃一《人間になった犬》

    ¥600,000

    作中の犬は、人間になろうとしているのか、あるいは人間が犬になりたいと思っているのか。海を見下ろす楽園のような伊豆高原の森の中で生まれた作品は、今も私たちを夢想の中へと誘う。谷川さんは、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家として知られ、旺盛な作家活動を続けた人で、「アートフェスティバルゆふいん」から引き継いだ「伊豆高原アートフェスティバル」の運営委員長として30年以上にわたり牽引した。同フェスティバルは「地域型の美術展」として全国に普及した美術展のテキストとなった。東京都中央区出身(1938 - 2024)。20歳で自由美術展に入選。以後、1963年読売アンデパンダン展に出品、前衛美術家として活動した。1964年、「記号の増殖」シリーズで最初の個展を東京の内科画廊で開催。絵画制作と並行して美術批評など文筆活動も行った。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>水彩、アクリル/パネルに紙貼 <作品寸法(cm)>73.0 × 103.0 <所属>空想の森美術館コレクション *備考 ・送料は別途(地域別)計算となります。 【伊豆高原の風】 ――空想の森のアート&エッセイ(2)/高見乾司―― 谷川晃一さんと伊豆高原アートフェスティバルのことを書いた「伊豆高原の風」というエッセイの原稿または記事を探しているが見つからない。もう30年も前の記事だから、インターネット情報からは消えているし、どこに書いたのか、思い出せない。谷川さんのことはインターネットで多くの情報が出ているので、調べればおおよそのことはわかる。だが、そこに出ているのは表面上の事象だけで、谷川さんとの交流・交友の記憶とは違うのだ。これから元原稿または記事を探し、改めてここに記すことにしよう。ひとまず小休止。

  • 谷川 晃一《スイランの庭》

    ¥120,000

    「スイランの庭」は伊豆高原の海を見下ろす高台の森の中にある不思議な庭、または谷川晃一・宮迫千鶴夫妻のアトリエと理解すれば間違いない。谷川さんは、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家として知られた人で、旺盛な作家活動を続け、「アートフェスティバルゆふいん」から引き継いだ「伊豆高原アートフェスティバル」の運営委員長として30年以上にわたり牽引した。同フェスティバルは「地域型の美術展」として全国に普及した美術展のテキストとなった。東京都中央区出身(1938 - 2024)。20歳で自由美術展に入選。以後、1963年読売アンデパンダン展に出品、前衛美術家として活動した。1964年、「記号の増殖」シリーズで最初の個展を東京の内科画廊で開催。絵画制作と並行して美術批評など文筆活動も行った。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>水彩・アクリル/紙・パネル <作品寸法(cm)>:36.0 × 55.0 <所属:空想の森美術館コレクション>

  • 谷川晃一 《鳥の歌》

    ¥50,000

    太陽の光が明るく降り注ぐ伊豆高原の 森には、たくさんの鳥が集まり、終日、 歌声を響かせる。 この地に移り住んだ谷川晃一・宮迫千鶴 夫妻の日々を彩った鳥たちの合奏。 そこから生まれ出た美しいフォルムと 色彩。 谷川さんは、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家として知られた人で、旺盛な作家活動を続けた。東京都中央区出身(1938 - 2024)。20歳で自由美術展に入選。以後、1963年読売アンデパンダン展に出品、前衛美術家として活動した。1964年、「記号の増殖」シリーズで最初の個展を東京の内科画廊で開催。絵画制作と並行して美術批評など文筆活動も行った。 <ジャンル>絵画 <技法:材質>リトグラフ/紙 <作品寸法(cm)>37×26 <所属:アートスペース繭コレクション>

  • 谷川晃一 《森の歌》

    ¥150,000

    谷川晃一・宮迫千鶴夫妻は、東京での活動を打ち切り、伊豆高原の森の中に移住してから、自由闊達で多彩な作品を生み出した。「アートフェスティバルゆふいん」から引き継いだ「伊豆高原アートフェスティバル」は伊豆半島の100を超える会場が参加する地域美術展となり、全国のアートシーンを牽引した。 アートスペース繭のオーナー梅田さんは、その初期から同フェスティバルに参加。初めて谷川さんから買った絵がこれだった。作家・企画者・コレクターなどの交流の歴史、絵画に対する愛着などを物語る一点。 谷川さんは、画家・エッセイスト・美術評論家・絵本作家として知られた人で、旺盛な作家活動を続けた。東京都中央区出身(1938 - 2024)。20歳で自由美術展に入選。以後、1963年読売アンデパンダン展に出品、前衛美術家として活動した。1964年、「記号の増殖」シリーズで最初の個展を東京の内科画廊で開催。絵画制作と並行して美術批評など文筆活動も行った。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>水彩・アクリル/紙・パネル <作品寸法(cm)>:21 ×26 <所属:アースペース繭コレクション>

  • 宮迫千鶴《日曜日の庭》

    ¥60,000

    伊豆高原の海を見下ろす森の中の谷川晃一・宮崎千鶴夫妻の庭とアトリエには多くの人が集った。東京から移り住んだお二人の創作の場は、「伊豆高原アートフェスティバル」という新時代を開く美術展の拠点となった。1947 年、広島生まれの宮迫さんは、20 代のころから独学で絵を描きはじめ、絵画制作とともに、写真・美術評論、評論家・エッセイストとして活躍、女性の視点による鋭い社会評論も展開した。1988 年、伊豆高原に転居。自然や暮らし、心・体・霊性の不思議に注目し多くのエッセイを発表した。絵画は、自然をテーマにした視覚の喜びを喚起する明るい色調の豊かな作品で海外でも高く評価された。 <ジャンル>絵画 <技法・材質>:パステル/紙 <作品寸法(cm)>25.0 × 30.0 <所属:空想の森美術館コレクション> *備考 ・額縁は25年前のままなので多少の剥落がありますがそれも「味」となっています。 ・送料は別途(地域別)計算となります。 【「花酒」と宮迫千鶴さんのこと】 ――空想の森のアート&エッセイ(3)/高見乾司―― 伊豆高原の海を見下ろす森の中の谷川晃一・宮崎千鶴夫妻の庭とアトリエには多くの人が集った。 東京から移り住んだお二人の創作の場は、「伊豆高原アートフェスティバル」という新時代を開く美術展の拠点となった。 1947年、広島生まれの宮迫さんは、20代のころから独学で絵を描きはじめ、絵画制作とともに、写真・美術評論、評論家・エッセイストとして活躍、女性の視点による鋭い社会評論も展開した。1988年、伊豆高原に転居。自然や暮らし、心・体・霊性の不思議に注目し多くのエッセイを発表した。絵画は、自然をテーマにした視覚の喜びを喚起する明るい色調の豊かな作品で海外でも高く評価された。 宮迫千鶴さんについては、書きたいことが次から次へと思い出されてくる。そして、いつの間にか瞼の裏が湿っている。 宮迫さんと谷川晃一さんが始めて湯布院の町においでになったのは、1992年のことだった。その頃、私たちは「アートフェスティバルゆふいん」という地域美術展を企画・開催しており、「町じゅうを展覧会場」と見立てたこの美術展では、宮迫さんの個展を「ゆふいん駅アートホール」で開催、同時に私どもの由布院空想の森美術館で「谷川晃一展」を企画して、町内30会場を結んだ展覧会の核としたのだった。すべての展示を終え、夜の空想の森美術館で、「花酒」でお迎えしたところ、宮迫さんはまるで上等のブランデーのような、琥珀色に醸成された「藪椿」の花酒が気に入り、次々に盃を重ねたのである。 「わたし、ここにある花酒の全部を味見する」 と豪語した彼女は、10杯目ぐらいで酩酊状態になり、轟沈したが、愉快な一夜を過ごすことができたのであった。 女性論や軽快で華麗な色彩の絵画で時代の先端を走っていた彼女は眩しい存在で、私たちは少し距離を置いて接していたのだったが、この夜を機縁に親密な同志のような間柄となった。第5回をもって最終回とした「アートフェスティバルゆふいん」は翌年から「伊豆高原アートフェスティバル」へと引き継がれ、その後25回を重ねて、国内最大級の地域美術展として、20世紀後半から21世紀のアートシーンを牽引したのである。 あっという間に過ぎたような・・・ 長い長い物語でもあったような・・・ *「アートフェスティバルゆふいん」は1988年から1992年まで5回開催。「伊豆高原アートフェスティバル」は1993年から2017年まで25回開催し、その後を「伊豆高原五月祭」として引き継がれ、現在に至っている。

  • 田島征三 《雨の森の一日》

    ¥70,000

    御存知、日本を代表する絵本作家・美術家。 本作は、エネルギッシュな作品群の底流を なす素朴で愉快な造形物が、画面いっぱい に配置され、森の中の雨音や雷さまのとど ろき、生き物たちの声などが聞こえてくる ような作品。 幼少期を自然豊かな高知県で暮らしたこと がその後の創作活動の原点という。 「とべバッタ」「ふきまんぶく」などの代 表作があり、伊豆高原に移住した後は谷川 晃一・宮迫千鶴夫妻とも交流し、木の実や 自然物を使った壮大なアート作品を展開し てきた。 2009年「鉢&田島征三 絵本と木の実の美 術館」が開館。 <ジャンル>絵画 <技法:材>リトグラフ/紙 <作品寸法(cm)> 37×27 <所属:アートスペース繭コレクション>

  • 神楽面 《黒い翁》

    ¥280,000

    能楽では白と黒の翁が一対で用いられるが、神楽の翁面は村の祖先神・守護神として登場する。白と黒一対の「宿神」として祀られる例がある。 能楽の翁については、白と黒一対で「宿神(しゅくじん)」とする例と、翁と鬼神が一対で宿神となるという伝承とがある。「宿神」とは「後戸の神」とする伝承、淡海公・藤原鎌足ゆかりの淡山神社に伝わる宿神もある。芸能史の裏面に潜み、不思議な信号を発信し続けている神である。 ・種類/名称 神楽面「黒い翁」 ・制作年代 江戸初期。 ・木製 18㌢×15㎝

  • 神楽面 《翁―田の神》

    ¥250,000

    田植え祭りに貸し出した際、演者が泥田の中を転げまわり、破損した。それを高見乾司が修復し、再生した。その結果、田の神の命が宿ったと思わせる面相となった。 能楽の翁については、白と黒一対で「宿神(しゅくじん)」とする例と、翁と鬼神が一対で宿神となるという伝承とがある。「宿神」とは「後戸の神」とする伝承、淡海公・藤原鎌足ゆかりの淡山神社に伝わる宿神もある。芸能史の裏面に潜み、不思議な信号を発信し続けている神である。 ・制作年代 江戸中期頃 ・木製 18㌢×15㎝

  • 神楽面《山神》

    ¥350,000

    山の神面としては稀少の部類に入る。山主であり狩りの領域を支配する狩猟神である。厳しい山岳で生活する山人によって造形された。 ・種類/名称 神楽面「山の神」 ・制作年代 江戸中期頃。 ・木製 塗料に剥落があるがそれが迫力を増している。

  • 神楽面《鬼神》

    ¥300,000

    神楽には「七鬼神」といって種々の面相と性格を持つ「鬼」が分布する。その土地に古くから座す祖霊神であり、悪霊を封じ、村の平安を約束する鬼である。 ・種類/名称 神楽面「鬼神」 ・制作年代 江戸中期。 ・木製彩色 25㌢×16㌢

  • 神楽面 《天鈿女命》

    ¥200,000

    「天鈿女命(アメノウズメノミコト)) 剥落・変色が著しかったが、高見乾司の古式の修復により再生した。岩戸の前で神がかりして天照大神の再来を請う舞を舞った故事により、神楽の祖とされる。江戸中期の制作だが、剥落・変色が著しかったため、高見乾司の古式の修復により再生した。これにより2025-関西万博に出演し「太陽の再生」の舞を舞った。 ・種類/名称 神楽面「天鈿女命(アメノウズメノミコト)」 ・制作年代 江戸中期。 ・木製 顔料による塗装 20㌢×15㎝

  • 神楽面 《猿田彦》

    ¥180,000

    「猿田彦」 天と地の境天の八街に立ち、天孫ニニギノミコト一行を迎え、天鈿女命と結ばれて筑紫の日向の高千穂に案内した。この故事により先導神・先払いの神・縁結びの神などの神格を得て列島全域に分布する民衆神となった。 ・種類/名称 神楽面「猿田彦」 ・制作年代 江戸後期。 ・木製 22㎝×14㎝ 鼻の高さ15㎝ ・漆による塗装

  • 黒須昇 《イエスタデイ》

    ¥80,000

    1979年に渡仏し、以後モンパルナスに住み、 日本の浮世絵に題材をとった独特の画風は、 無国籍アートと形容される。 「イエスタデイ」連作の一点。浮世絵のス トレートな性描写とは違った王朝風で軽快 な色彩と造形は、長年の浮世絵研究・論文 執筆などの中から生み出された。 <ジャンル>絵画 <技法:材>アクリル/マット紙 <作品寸法(cm)> 17×15 <所属:アートスペース繭コレクション>

  • 田口雅己 《八百屋お七》

    ¥80,000

    紅蓮の炎の中に火消しの纒や櫓、逃げ惑う人々、役者や鳥、種々の景物などが描き込まれ、現代の絵草子を見るような画面構成となっている。 江戸時代前期に、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし、火あぶりの刑に処せられた実在の少女は、以来、様々な戯曲や芝居、小説などに描かれたが、20世紀の絵師は今昔を行き来するような絵柄を生み出した。 田口雅巳 ( 1936~2010)東京生まれ。神奈川県立鎌倉高等学校在学中から,公募団体展(自由美術展ほか)・グループ展に出品。創作活動を続け、1984年以降,無所属となり個展を中心に洋画・日本画・立体造形・版画などを発表、併行して湘南風景も描き続けた画家。 <ジャンル>絵画 <技法・素材>シルクスクリーン <作品寸法>25.0×35.0 <所属>アートスペース繭コレクション

  • 黒須昇 《無題》

    ¥80,000

    1979年に渡仏し、以後モンパルナスに住み、 日本の浮世絵に題材をとった独特の画風を 確立した画家に、別の一面がある。鉛筆で 塗った画面を油で溶かし、その黒々とした 色面に金彩などでドローイングを重ねてゆく。 流れ星のような、あるいはホタルの点滅の にもみえる小宇宙。 <ジャンル>絵画 <技法:材>アクリル/マット紙 <作品寸法(cm)> 18×17 <所属:アートスペース繭コレクション>

  • 黒須昇 《浮世の幻想》

    ¥120,000

    1979年に渡仏し、以後モンパルナスに住み、 日本の浮世絵に題材をとった独特の画風は、 無国籍アートと形容される。 「イエスタデイ」等の連作の一つ。浮世絵の ストレートな性描写とは違った王朝風で軽快 な色彩と造形。手製の額縁が本画の画調とよ くマッチして、独自の造形を引き立てる。 <ジャンル>絵画 <技法:材>油彩/キャンバス <作品寸法(cm)> 16×22 <所属:アートスペース繭コレクション>

  • 井上洋介《森の哲学者》

    ¥70,000

    月夜の森で思索にふける大きなフクロウ。 その眼に何が映り、森の哲学者の思考は どこへ辿りつくのか。混迷を深める人間 世界をちょっと斜めの視点で眺めているか。 絵本「おだんごぱん」「ぶんぶくちゃがま」 「月夜のじどうしゃ」など、多くのすぐれた 作品を残したこのアーティストは、絵本、 漫画、広告、舞台美術など、多彩な分野で 活躍した (1931~2016) 奇想天外な発想が 炸裂する独創的な世界を描き、「その時代、 その空間にある材料を使って、表現したい ものを表現するのが芸術」と語.。鬼気迫る 描写に愛嬌と哀愁、ナンセンスを同居させ た独自の画風は、多くの人に愛され、支持 を得た。 <ジャンル>絵画 <技法:材>水彩/紙 <作品寸法(cm)> 40×31 <所属:アートスペース繭コレクション>

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